2017/04/18

聖金曜日のミステリー

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キリストの生誕を祝うクリスマスと違い
日本では殆ど語られることのない復活祭という行事。
キリスト教ではある意味「生誕」より「復活」の方が重要だけれども
この「復活」と言う言葉自体
ハッキリ言ってミステリアスだ。

クラシック音楽の世界でも、
クリスマス・コンサートより大がかりなコンサートが
この復活祭を中心にヨーロッパ各地で開かれているが
その理由はどうやらその辺りに
つまり、その神秘的な「復活」という言葉にありそうな気がする。

オーストリアのザルツブルクでは
大指揮者カラヤンの生前から
4月半ばに毎年開かれるキリストの祭典を象って
イースター音楽祭が開かれている。

そこではワーグナーの神聖祝典劇「パルシファル」や
「ニーベルンクの指輪」を中心にしたコンサートやオペラ公演をお目当てに
世界中の人達が集まって来るのだ。

同じく音楽の都、ウィーンの国立歌劇場では
決まってこの復活祭で「パルシファル」が演奏される。
今年はオーストリア放送協会がインターネットでライブ配信するそうだ。
私のメンターの一人、セミヨン・ビシュコフが指揮するから聴かねばなるまい。

一般にはワーグナーのオペラ、しかも「パルシファル」と聞けば、
3幕のオペラのその1幕だけを聴いたとしても、優に90分を超える。
何とも長いわけだ。

ワーグナーと聞けば、大抵の人は
その長さに怖れをなすわけだけれども
僕が最初に好きになったワーグナーのオペラは、
何を隠そうこの「パルシファル」なのだ。

理由は簡単。ミステリアスだからだ。

音楽によって隠された真実が表現されていくのを聴くのだ。
目で見るのではない。
キリスト教の中に埋め込まれている「秘蹟」は
すべて音が表現してくれているような気がするからなのだ。

ワーグナーの存在は19世紀の人にとって
ある意味革命家で、またある意味、新興宗教の教祖様のような存在。

例を挙げるなら、10代のニーチェやプルーストなんて
ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の音が醸し出す雰囲気に
まんまとひっかかって、もう大変な熱の入れようで作品を生み出した。
ニーチェの若い習作である「悲劇の誕生」なんて、
まさにただひたすらワーグナー賛なのだけれど
若い芸術家や思想家たちの魂を
ワーグナーがわしづかみにしたような恰好だった、というわけだ。

他ならぬこの僕も、やっぱりワーグナーにやられたわけだが
それは「トリスタン」ではなくて、この「パルシファル」だった。

この「パルシファル」の第一幕に出てくる「聖金曜日の音楽」。
そして1幕終幕までの音楽は、18歳くらいの若造の五臓六腑を
当時、完膚なきまでに打ちのめした。

わたしは、この「パルシファル」で体感した「ミステリアスな音」を
その後はモーツァルトやベートーヴェンの中にも探すようになった。
そういう神秘がなければ、名曲とは言えないとまで思いだしたのだ。

クリングゾルの剣によって傷付けられた王アンフォルタスの
痛みは、どんな薬をもってしても消えはしないが
このオペラの音の中では
その痛みがまるで「キリストの痛み」のように感じられる。

聖なる金曜日とはキリストが十字架に張り付けられ、息を引き取った日とされる。
その3日後の日曜日が「復活」の日。
そんなエピソードが音のなかに聴こえてくる、なんていう物凄い曲を、
ワーグナーという怪物は創り上げた。

「聖金曜日の音楽」に聴こえてくる、消えない痛みの音。
Passionはドイツ語で「受難」と訳すが
キリストの受難、という深い意味を
ワーグナーの音楽は言葉よりもはるかに雄弁に語ってくれる。

だからこの時期は「パルシファル」を聴け!

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