2017/03/31

マーラーの眼鏡は無事だった

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メガネ

マーラーという音楽家は、
10曲を超す交響曲の作曲家として有名だが
同時に偉大なる指揮者でもあった。

その指揮する様子を評して
時代物のカリカチュア(風刺画)などが広く知られているが
それを見ると、まさに「悪魔のような」指揮ぶりが
指揮者マーラーの魅力だったようだ。

だが、マーラーの真の姿を読み解いていくと
全く違った側面、つまり「悪魔」とは似ても似つかない
「やさしさ」や「愛」を基本とした姿が見えてくる。
それが彼の音楽が持つすばらしさなのだ。

だが、かつてはマーラーにも不遇の時代が続いていた。
生前は総じて理解されなかった。
だから「私の時代がやがてやって来る」と言ったのだろう。

その予言の通りに世の中が変貌を遂げたのは
もはや疑う余地などないだろう。
21世紀になると、マーラーが最も愛される時代となって
その真価を疑う人など一人もいなくなった。

実際のところ、マーラーの作品が受け入れられなかった時代は
「やさしさ」や「愛」という価値そのものが
受け入れられない時代だったのである。

そんなマーラーが晩年アメリカに渡り、
当時から有名だったメトロポリタン歌劇場や
フィルハーモニック・ソサイエティの音楽監督の候補として
ニューヨークでイタリア人指揮者のアルトゥーロ・トスカニーニと
激突することになる。

マーラーの風刺画にあった、あの「悪魔のような」指揮振りが
ウィーンと同じくかの地で炸裂したかどうかは定かではないが、
少なくともトスカニーニにお株を奪われて
傷心の末、結果的にヨーロッパに戻ったと言うのが
その後のマーラーが辿った道のりである。

さて、そんな二人の偉大な指揮者にも
小さな共通点があった。
それは眼鏡である。

眼鏡と言えばマーラーもトスカニーニも
どちらも眼鏡を愛用していたのだが
マーラーは若い頃から写真のような丸眼鏡をかけていた。

トスカニーニはと言うと
眼鏡はかけるものの、リハーサルとなれば必ずと言ってよいほど
怒り心頭に発し、足で踏みつけたために
眼鏡は粉々に砕け散ってしまう。
リハーサルでオーケストラが思うように弾けないのが原因だ。

その位の癇癪持ちのトスカニーニが、
S・フロイトに多重人格症と診断されたマーラーに
優しく接してくれるわけもないではないか。

マーラーの弟子で、後継者だったブルーノ・ワルターは
戦前まだトスカニーニがザルツブルク音楽祭で指揮していたころ
トスカニーニから、かなり辛辣な言葉を浴びせられて傷つけられたことを
自身の追想に書き綴っている。
つまりトスカニーニはここでも激情の人だったわけだ。

ちなみにトスカニーニはモーツァルトの交響曲を指揮してはいるが
強さが全面に押し出されたような演奏である。
だが、モーツァルトのオペラについては「ドン・ジョヴァンニ」や「魔笛」以外は、
殆ど指揮しなかったようだ。

一方のマーラーは、ハンガリーのブタペスト王立歌劇場で
モーツァルト・オペラのルネッサンスを起こし
その伝統はブルーノ・ワルターを経て後世に継承されて来た。
カール・ベームがワルターからその伝統をミュンヘンで
受け継いだ、と証言しているから間違いないだろう。

モーツァルトの演奏には「優しさ」や「愛」が必要なのだが
それはワルターという人が「優しさ」を重んじる人であったことからも分かる。
だが、そんなことを言う人間に、リーダーが務まるわけがない、
というのが、一般的な社会の考え方だったのではないだろうか。

だからトスカニーニも必然的にモーツァルトを
強さや厳しさで表現したし、
ワルターが表現しようとした「愛」のようなものは
「弱さ」と受け止められるのが一般的だったのではないか。

今でこそ「やさしさ」とはリーダーシップの根幹に据えることのできる
極めて重要な資質になったが、
つい最近まで、リーダーは決断と強さを求める向きが多かった。

そんな厳しい時代に、指揮者のワルターがモーツァルトを通じて守ろうとした
「優しさ」によるリーダー像。

その答えはモーツァルトが知っている。
そして同じ作曲家であったマーラーが
ある意味その路線を受け継いでいるとも言える。

モーツァルトから「天国的な響き」を出すことは
どんな手慣れた演奏家にとっても、至難の業。
何故ならその世界観を表現するには、
モーツァルトが有していたと同じほどの
「優しさ」や「愛」が必要だからだ。
その意味でモーツァルトは、
常に「演奏家にとって一番難しい作曲家」と言われて来た。

ワルターはこの2つのモーツァルトに必要な特性を
マーラーから受け継いだ。

「悪魔のような」指揮をするマーラーにとって
モーツァルトは自分の「優しさ」を育むために必要な作曲家だった。
マーラーが書いた作品の中にも見つかるのは
彼が説いた「自然への憧憬」だ。

Was mir die Liebe spricht 愛が私に語り掛けるもの
マーラーは交響曲第3番で「自然」について語ったが
それは彼が自然のまなざしの中に
「やさしさ」や「愛」を見つけたからだ。

そんな「優しい時間」こそは
マーラーの作品群を貫くテーマだが
特にそれが聴こえてくる作品と言えば
交響曲第3番と交響曲第4番の2曲。

モーツァルトの作品を指揮する中で培った
マーラーの「自然の音楽」のエキスが
ふんだんに盛り込まれているのを
きっと貴方は感じることができるだろう。

 

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